![]() | The Politics of Life Itself: Biomedicine, Power, and Subjectivity in the Twenty-first Century (In-Formation) (2006/11/10) Nikolas Rose 商品詳細を見る |
![]() | Genetics and Society: A Sociology of Disease (2004/09) Anne Kerr 商品詳細を見る |
![]() | テクノソサエティの現在 (1) 遺伝子技術の社会学 (2007/09) 松原 洋子 商品詳細を見る |
バイオテクノロジーの発展によって人類の身体や生活はどう改変されていくのかというSF的なしかし切実で重いテーマが魅力的
暇もできたことだし、こりこりと読んで思索をめぐらせたい。
それからこれも読んでる途中だが、面白い
![]() | 感情力―自分をコントロールできる人できない人 (2005/08) フランソワ ルロール、クリストフ アンドレ 他 商品詳細を見る |
![]() | 哲学の歴史 8 18-20世紀 (8) (2007/11) 伊藤 邦武 商品詳細を見る |
宮本輝 『階段』 宮本輝全短編所収
『階段』はとてもいい。宮本輝は人間の心のしこりみたいなものを描くことに長けた作家だと思う。
『日本語について』 中上健次全集1 所収
中上は初期のほうが面白いのではと個人的に思うのだがどうだろうか。
抜群の文章的センスをしていると思うし、文体がとてもスタイリッシュだ。
坂口安吾 『桜の森の満開の下』
読み返すが、とても浮かんでくる情景が美しくてきれいで残酷だ。
やはり安吾のイメージというか読んでいて浮かぶ情景はすごい
若干狂気じみているところもまた好きである。
![]() | 宮本輝全短篇 下 (2007/11/22) 宮本 輝 商品詳細を見る |
『階段』はとてもいい。宮本輝は人間の心のしこりみたいなものを描くことに長けた作家だと思う。
『日本語について』 中上健次全集1 所収
![]() | 中上健次全集〈1〉 (1995/08) 中上 健次 商品詳細を見る |
中上は初期のほうが面白いのではと個人的に思うのだがどうだろうか。
抜群の文章的センスをしていると思うし、文体がとてもスタイリッシュだ。
![]() | 桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫) (1989/04) 坂口 安吾 商品詳細を見る |
坂口安吾 『桜の森の満開の下』
読み返すが、とても浮かんでくる情景が美しくてきれいで残酷だ。
やはり安吾のイメージというか読んでいて浮かぶ情景はすごい
若干狂気じみているところもまた好きである。
「教育」に対する根本的な考え方を考えるにあたって、
自国だけでなく他国の教育と比較して相対的に考える視点は決定的に重要である。
別にフィンランドの教育が一番と言う気はさらさらないのだが、
日本の教育に対する考え方の違いとその思想の緻密さには一目おく必要がある。
一度教育について思考のパラダイム(枠組み)を問い直す必要があるのではないかと思った。
日本で教育が騒がれるたいていのパターンは
往々にして「ゆとり」か「知識重視」の二項対立にはまり込んでいる場合が多いように思える。
そのような思考パターンを一度改め、異なった視点から「教育」というものを
捕らえなおす作業が日本ではまだできていないのではないだろうか?
いまいち日本に蔓延する「教育」に対する言説は薄っぺらい気がしてならない。
自国だけでなく他国の教育と比較して相対的に考える視点は決定的に重要である。
![]() | 競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功 (朝日選書) (2006/05) 福田 誠治 商品詳細を見る |
別にフィンランドの教育が一番と言う気はさらさらないのだが、
日本の教育に対する考え方の違いとその思想の緻密さには一目おく必要がある。
一度教育について思考のパラダイム(枠組み)を問い直す必要があるのではないかと思った。
日本で教育が騒がれるたいていのパターンは
往々にして「ゆとり」か「知識重視」の二項対立にはまり込んでいる場合が多いように思える。
そのような思考パターンを一度改め、異なった視点から「教育」というものを
捕らえなおす作業が日本ではまだできていないのではないだろうか?
いまいち日本に蔓延する「教育」に対する言説は薄っぺらい気がしてならない。
![]() | エレクトラ―中上健次の生涯 (2007/11) 高山 文彦 商品詳細を見る |
僕は中上健次については「岬」と「蛇淫」しか読んだことがないが、このノンフィクション作品を読むと読まないとでは、中上健次に対する向き合い方がまるで違ってくるので中上健次が好きな人には必読だろう。
僕はこの本を読んだあと、無性に中上健次という人間に魅力を感じ、作品をすみからすみまで読破したいという強い衝動に駆られた。
これから、どっぷりと中上健次の世界につかろうと思う。
中上健次の人生において、母親としてでなく女として生きた母への反感・兄の自殺の衝撃・部落民という3つのキーワードはさけて通れない衝撃の体験であり、文学の中においてもその衝撃が色濃く反映されている。
それゆえに、中上の人生背景を知っておくことがよりよい作品の読解には欠かせない。
彼の文学は人間のドロドロしたマグマのようにフツフツとアブクを立てている根源の部分をすくったような非常に濃い文学だ。
読むほうも読むほうでそのことを覚悟し、中上の畳み掛ける重厚な言葉たちをしかと受け止めなければいけない。
テストが終わった開放感を引き連れて一路、新宿LOFTに赴く。
新宿の街の喧騒は吐き気がするくらいであり。
それを眺めているとニンゲンという欲望の塊が蠢いている感があった。
気持ちが悪かった。
新宿独特の変な臭いもした。
しかしながら今日は敬愛するアーティストのミドリを観にいくべく新宿というどうしょうもない街の雑踏にもぐりこむ。
もちろんミドリというのが俺にとってすごいバンドであるということはいうまでもないが
今日のライブでそれは確信と変わることとなる。
後藤まりこの狂気にはすばらしいものがある。
アニメの世界から出てきたような声とは対象的にセーラー服をまとい暴れまわりエフェクターを噛みそれを投げつけ、マイクを叩き壊さんばかりにシンバルに打ちつける破壊衝動。
そして耳をつんざく爆音とノイズ。そしてどこか切ないきれいなピアノの音色
かもし出す少女のエロティシズム。
すべてが俺の五感を刺激し、何かをたぎらせていた。
歌詞の世界には愛とリビードについての圧倒的な絶望感と一途で純粋な乙女心やエロスへの衝動が同居し、まじわりあい炸裂していた。
それが轟音となり、後藤のギターをかき鳴らさせていた。
後藤まりこの絶叫と赤いフェンダー社のギタアから繰り出される爆音は痛々しいほどに純粋で悲しく切ない思いの凝縮だったように思える。
それはすべての耳障りだけの良い言葉やニセモノの感情をぶち壊すだけのすさまじいエネルギーを秘めていた。
まさに後藤まりこの感情と本能、衝動がそのまま音になっているといっていい。
僕はこんなにも自由で自分自身を解放したロックを聴いたことがない。
新宿の街の喧騒は吐き気がするくらいであり。
それを眺めているとニンゲンという欲望の塊が蠢いている感があった。
気持ちが悪かった。
新宿独特の変な臭いもした。
しかしながら今日は敬愛するアーティストのミドリを観にいくべく新宿というどうしょうもない街の雑踏にもぐりこむ。
もちろんミドリというのが俺にとってすごいバンドであるということはいうまでもないが
今日のライブでそれは確信と変わることとなる。
後藤まりこの狂気にはすばらしいものがある。
アニメの世界から出てきたような声とは対象的にセーラー服をまとい暴れまわりエフェクターを噛みそれを投げつけ、マイクを叩き壊さんばかりにシンバルに打ちつける破壊衝動。
そして耳をつんざく爆音とノイズ。そしてどこか切ないきれいなピアノの音色
かもし出す少女のエロティシズム。
すべてが俺の五感を刺激し、何かをたぎらせていた。
歌詞の世界には愛とリビードについての圧倒的な絶望感と一途で純粋な乙女心やエロスへの衝動が同居し、まじわりあい炸裂していた。
それが轟音となり、後藤のギターをかき鳴らさせていた。
後藤まりこの絶叫と赤いフェンダー社のギタアから繰り出される爆音は痛々しいほどに純粋で悲しく切ない思いの凝縮だったように思える。
それはすべての耳障りだけの良い言葉やニセモノの感情をぶち壊すだけのすさまじいエネルギーを秘めていた。
まさに後藤まりこの感情と本能、衝動がそのまま音になっているといっていい。
僕はこんなにも自由で自分自身を解放したロックを聴いたことがない。
![]() | セカンド (2007/04/04) ミドリ 商品詳細を見る |
先週に引き続き、「だいすき!!」を観る
ええドラマやねえ。
今週はゆずの死んでしまった恋人そうちゃんの妹のお話と
ひまわりを保育園に入れるまでの悪戦苦闘のお話。
俺の見た限り、「偏見」と「家族」についてが隠しテーマになっていたと思う。
「偏見」というのは知的障害の母親についてまわる偏見である。
「偏見」というものは往々にして世間には無数というかむしろ当たり前に駆使さえされている感すらある。それほどに僕らは自分の無知を自覚する必要があるのではないかと思う。
それはもちろん知的障害者に限らずどんな者、どんな関係においても発生する。
極論を言ってしまえば、人間お互いの心をすみからすみまでわかるほど利口にできてはいない。
それは家族においても完全にお互いわかるわけではないだろう。
それが他人ともなればお互い誤解の連続でできているようなもんである。
このように、大なり小なり「偏見」は常に身近に存在する。
僕たちはこのことをしっかり頭に入れた上で他者というもの認め合える寛容さを持つ必要があると思う。
人間、十人十色とはよく言ったものだ。
それゆえにその人なりの人生というものをひたむきに生きる権利がある。
とともに、お互いを理解しあい助け合う心の度量の深さを忘れてはいけない。
話をドラマに戻すと、一話一話でゆずの成長を楽しめるのでとても観ていて共感できるドラマだ。
小さなことでもひとつひとつゆずとそれを支える家族が成長してゆく姿をみることができるのはとても素晴らしい。
ええドラマやねえ。
今週はゆずの死んでしまった恋人そうちゃんの妹のお話と
ひまわりを保育園に入れるまでの悪戦苦闘のお話。
俺の見た限り、「偏見」と「家族」についてが隠しテーマになっていたと思う。
「偏見」というのは知的障害の母親についてまわる偏見である。
「偏見」というものは往々にして世間には無数というかむしろ当たり前に駆使さえされている感すらある。それほどに僕らは自分の無知を自覚する必要があるのではないかと思う。
それはもちろん知的障害者に限らずどんな者、どんな関係においても発生する。
極論を言ってしまえば、人間お互いの心をすみからすみまでわかるほど利口にできてはいない。
それは家族においても完全にお互いわかるわけではないだろう。
それが他人ともなればお互い誤解の連続でできているようなもんである。
このように、大なり小なり「偏見」は常に身近に存在する。
僕たちはこのことをしっかり頭に入れた上で他者というもの認め合える寛容さを持つ必要があると思う。
人間、十人十色とはよく言ったものだ。
それゆえにその人なりの人生というものをひたむきに生きる権利がある。
とともに、お互いを理解しあい助け合う心の度量の深さを忘れてはいけない。
話をドラマに戻すと、一話一話でゆずの成長を楽しめるのでとても観ていて共感できるドラマだ。
小さなことでもひとつひとつゆずとそれを支える家族が成長してゆく姿をみることができるのはとても素晴らしい。
テスト期間。思ったよりプレッシャーに俺は弱いようだ。
なぜか勉強する気持ちが起こらない。
てかめんどくせえ。
テスト自体はなんとかなりそうだけど、テスト終わった後は俺たぶん虚脱状態にしばらく陥るだろうな。
でもやるべきことはちゃんとやらんとな。
俺はねえ、若干いい人を演じたがる傾向があるそれゆえに自分をよく見せようと無理をするきらいがある。
実は俺はそんなにいい人じゃないことを自覚する必要があるな。
溜め込んで爆発するよりはいいかもしれない。
ミドリの「清水」に付属されていたライブDVDを見る。
圧巻であった。
今週の金曜日テストが全部終わった後にすぐさまライブに行く予定であるがそれがすごい楽しみである。
ロックンロールの神様はまだ俺を見捨ててはいないようだ。
テスト、そしてこの一年間の義務を果たしきった開放感で行こうと思う。
そうこの義務をまずはかたづけねばならない。
やるべきことを淡々とこなすただそれだけ。
若干、昔懐かしきいろんな思い出たちが去来するが、その歓喜はすべてが終わった後にだ。
さてと。やるべきこと。比喩的にいえば、雪かきの続きをやりますか。
なぜか勉強する気持ちが起こらない。
てかめんどくせえ。
テスト自体はなんとかなりそうだけど、テスト終わった後は俺たぶん虚脱状態にしばらく陥るだろうな。
でもやるべきことはちゃんとやらんとな。
俺はねえ、若干いい人を演じたがる傾向があるそれゆえに自分をよく見せようと無理をするきらいがある。
実は俺はそんなにいい人じゃないことを自覚する必要があるな。
溜め込んで爆発するよりはいいかもしれない。
ミドリの「清水」に付属されていたライブDVDを見る。
圧巻であった。
今週の金曜日テストが全部終わった後にすぐさまライブに行く予定であるがそれがすごい楽しみである。
ロックンロールの神様はまだ俺を見捨ててはいないようだ。
テスト、そしてこの一年間の義務を果たしきった開放感で行こうと思う。
そうこの義務をまずはかたづけねばならない。
やるべきことを淡々とこなすただそれだけ。
若干、昔懐かしきいろんな思い出たちが去来するが、その歓喜はすべてが終わった後にだ。
さてと。やるべきこと。比喩的にいえば、雪かきの続きをやりますか。
![]() | 戦艦武蔵 (新潮文庫) (2000) 吉村 昭 商品詳細を見る |
![]() | 人よ、寛かなれ (中公文庫) (2003/08) 金子 光晴 商品詳細を見る |
NHKの番組で吉村昭という歴史小説家を知りデビュー作を購入。
新潮文庫に膨大な数のストックがあるため面白いことを祈るばかり。
それから、金子光晴のエッセイ。著者が80歳くらいに書いたエッセイでなかなか視点がユニークである。
それからお茶の水のディスクユニオンをふらついてると中古で
ミドリの「清水」があったので即購入。
![]() | 清水 (2007/11/21) ミドリ 商品詳細を見る |
エゾシカダンスがいいね。
爆音でギャーギャー叫んでる中でたまにすごくポップでイッちゃってるメロディーと歌詞が
ものすごく快楽中枢を刺激し、トリップさせてくれる。
かなりアブナイところまで持っていってくれる力はすごい。
それから、ボーカルがずるいね。声がものすごくいいし、歌もうまい。
てか声がエロティックなんだな。そこらへんもずるいよ。
![]() | 法思想史講義 上 (1) (2007/10) 笹倉 秀夫 商品詳細を見る |
![]() | 法思想史講義 下 (2007/11/07) 笹倉 秀夫 商品詳細を見る |
上巻のギリシアの記述が詳細でわかりやすいも僕をうならせたのはそこだけ。
中世の法思想もなんだかキリスト教の権威に押されっぱなしで
ああ、これを暗黒時代というのだなという感じと魔女裁判の不条理さと残酷さを残し上巻が終わり、下巻へといってもビミョーな感じで読み終えてしまった。
確かに記述が詳細で恐るべきほどの博識をお持ちなのはわかるがなんだかつまんなかった。
特に現代の法思想の記述があまりにも少なすぎるし、最新の議論もキャッチアップされていなくて、ポストモダン、新自由主義云々でお茶を濁されてもねえ。
著者の記述スタイルもなんだか頭が硬い感じで好きになれず。
現代の法思想があまりに少なすぎることが最大の弱点。
期待した割にはあまりいい本じゃありませんでしたな。
最近の法思想をお勉強するにはこっちの本のが断然いいすよ。本の書き方もしっかりしています。
![]() | 二十世紀の法思想 (岩波テキストブックス) (2000/03) 中山 竜一 商品詳細を見る |
「愛」というものの美しさと残酷さと醜さ、そしてどうしょもなさを歌う
ことに関しては銀杏BOYZが突出しているが、
ある意味このバンドもそう。
![]() | セカンド (2007/04/04) ミドリ 商品詳細を見る |
まずもってボーカルアンドギタアの後藤まりこのいでたちがいつもセーラー服だからなんかずるい。
不安定な旋律を奏でだすキーボードの色合いと
叫び雄叫びをあげ、暴れまわるセーラー服そして汚くてきれいな歌詞と爆音の狂騒。
いままでにないバンドだけど俺はすさまじく好きになりましたね。ええ。
いっぺん聴いてみたいひとはどうぞ↓
「愛のうた」
追記
タワレコでPerfumeとミドリのコラボポスター見つけた。
俺好みすぎてすげえ。
perfume好きなひとはミドリも好きだったりして(やってることは正反対だけど(笑))

![]() | Baby cruising Love / マカロニ (2008/01/16) Perfume 商品詳細を見る |
perfumeの新曲。
俺はperfumeのSFな感じが好きなのだが、たてつづけにラブソングということで、
俺の期待を裏切り、順調に売れてきている。
しかし、ただのラブソングで終わらないのがperfumeのいいところなのだ。
perfumeの歌詞は読み方によってはかなり深いと思う。
ただの安っぽい歌詞ではない。
たとえば、今回の「Baby crusing Love」にある「航海」という言葉。
俺が思うに「後悔」という言葉が掛け言葉になっている。
それによって歌詞全体の意味も正反対の意味になってとれてくるのだ。
歌詞を引用してみると
恋の運命は 愛の証明は
二人の航海(後悔)と 何かが似ているかもね
会いに行きたいよ 遠い空間を
baby crusing love たどり着きたいあの場所
baby crusing love
簡単な事って 勘違いをしていたら
判断誤って 後ろを振り返るんだ
何だって いつも近道を探してた
結局大切な宝物までなくした
ハッとして気がついたら
引き返せないほどの距離が
ただ前を見ることは 怖くて しょうがないね
恋の運命は 愛の証明は
二人の航海(後悔)と 何かが似ているかもね
会いに行きたいよ 遠い空間を
baby crusing love たどり着きたいあの場所
この曲はこの繰り返しなのですが、ここまで読んでみると「航海」を「後悔」とも読めるというか
むしろ「後悔」で意味を取る方が全体の歌詞の深みが格段に違ってくると思うのですな。
ほかにも、perfumeの曲では「宙へ」を「チュウヘ」(キスへ)とも取れる歌詞があったりするから個人的に俺は確信犯だと思うのですよ。
まあ、でも今後どうなるか知らんけど、俺はあくまでperfumeのSFらしさを脱色するようなことはしてほしくないなあと思います。
テレビを普段あまり見ない僕が楽しみにしていたドラマがある。
『だいすき!!』
という知的障害のお母さんが子育てをするドラマだ。
まず設定からずるいが、ゆずの屈託のない素直な愛情に案の定泣きながら鼻水をじゃんじゃん出しながら見る。
第一話は非常に面白かったので良かった。
ショートカットの香里奈がとてもかわいかったし、演技も良かった。
来週も楽しみだ。ドラマなんて観るの何年ぶりやろ。
実は僕も現在、うつで病院に通院し、障害者自立支援法の精神障害者(っていうほどでもないけど)該当ってことになっていて、自立支援法の適用により保険料を一割負担にしていただいている。
だから、僕もゆずの仲間ともいえるかもしれない。
しかし、精神障害者についてはほかの障害を持っている人に比べてスポットライトを当たることが少ない。このことについてはやはりまだまだ差別意識が払拭されていないというところがあるのだろうか?
まあ、僕のようなごく軽度のうつは「障害」とはいえないけれど。
統合失調症などのひとの実際の現状が社会に認知されているかといったら疑問符がつくだろう。
それから、春に公開予定の映画『潜水服は蝶の夢を見る』もおすすめです。
最後に、「だいすき!!」のhpにあった「知的障害について」を引用しときます。
(1) 病気とは違います
知的障害とはどのような障害なのか、日本の法律では定義はされていません。
目や耳の不自由な人、車いすの人などは障害があることがわかりやすいのですが、もともと知的な能力は高い人もいれば低い人もいて、どこからが障害と判断するのかについてもいろいろな考え方があります。
実際は次の三つの点から検討されることが一般的です。
18歳未満の発達期に障害があらわれていること。
お年寄りの認知症とは違うということです。
知能指数 (IQ) が70未満であること。
標準は100ですが、IQ 検査は何種類かあり、検査によって数値が違ってきます。
年齢に比べて、身の回りのことや学習などの社会生活能力が低いこと。
障害は病気とは違って、治療や訓練をすれば「治る」というものではありません。ただ、家族や友だちや周囲の人々が障害についてよく理解し、障害のある人が育ちやすい環境を整えてあげることによって、社会的生活能力は向上していき、福祉の援助が必要ではなくなる人もいます。
それでも、障害がなくなるということではありません。その人の個性や特徴の一つになっていくようなものかもしれません。
また、知能指数 (IQ) 検査は、言語が理解できないと数値が低く出る傾向があるなどの批判もあります。最近はイラストや図などによる説明が多く見られるようになり、現実に生活していく上での「知能」と IQ とのズレが大きくなっていると言われています。
(2) 知能について
そもそも、知能とは何でしょう。IQ 検査などでは、言語理解、数、空間、記憶、知覚の速度、推理などについて調べ、その人の能力を数値で表しますが、それだけでは説明がつかないことがたくさんあります。
知的障害者や自閉症という障害者の中には、一瞬のうちに目の前の風景を細かいところまで記憶に焼き付けることができたり、数字や日時に関する記憶や処理能力が優れ、天才的な一面を見せる人が少数ですが、います。
また、過去の体験や学習で蓄積された知識と、新たな状況に適応するため柔軟に変化する知的活動に分けて、知能をとらえる考え方もあります。新たなことに柔軟に対応するためには、どれだけの知識が蓄積されているかが重要だというのです。
一方、新たな対応が体験としてさらに知識を蓄積していくわけで、その人がどのような環境や人間関係の中で暮らしてきたか、どのような体験をしてきたのかが、知能に大きな影響を与えるというのです。
数学や理科の勉強ができたり、難しい漢字を書けることだけが知的能力を測るものさしではないのです。
厚生労働省の平成17年調査によると、知的障害のある人は54万7,000人で、そのうち施設で暮らしている人が12万8,000人、地域で暮らしている人は41万9,000人です。だいたい4人に1人は施設の中で生活しているわけです。
多くの先進国では、障害があっても施設で管理された生活を強いるのは権利侵害ではないかと考えられ、障害のない人と同じように地域で生活するようになってきました。これをノーマライゼーションといいます。
障害者だって恋愛もします。幸せな結婚をしたいと思う人もいます。赤ちゃんを産む人もいます。大切な人を失い、悲しみに襲われることもあります。仕事をして認められたい、お金を稼ぎたいとも思います。だいすきな人を抱きしめたいとも思います。
人生の中でさまざまな人とめぐり合い、楽しい思い出や悲しい出来事をいっぱい経験し、そうして蓄積されたことが知的能力を育んでいくのです。
(3) 原因
環境や人間関係が知能に大きく影響するとしても、人はそれぞれ生まれながらにして知的能力が違います。どうしてなのでしょうか。
たとえば、ダウン症という知的障害は染色体が一般の人とは違うために発生します。なぜ染色体の違いが出るのかはよくわかっていません。
妊娠中に薬の副作用やさまざまな有害物質を吸引したり、生まれてくるときに難産のために脳に何らかの損傷を負ったり、酸素をうまく吸えなかったりするために知的障害になる場合もあります。
遺伝によって知的障害があらわれる場合もありますが、いずれにしても詳しいメカニズムはよくわかっていません。
身長が人によって違い、走る速さも人によって違うのです。知的能力が人によって違うのは不思議なことではありません。
足が遅い人でも一生懸命に努力すれば速く走ることができるようになります。
しかし、あまり努力をしなくても生まれつき速く走ることができる人もいます。
どんなに努力しても追い越すことができない場合もあります。
しかし、努力するのは無駄なことでは決してありません。努力することによって自分の中に充実感が広がったり、がまん強さが身に付いたり、心が強くなったりします。困ったことに直面しても、努力して身に付けた強さによって乗り越えることができたりするものです。
精一杯がんばっている人は周囲の人々に勇気や感動を与えたりもします。
知的障害の人だって、努力をすることでいろんなことができるようになります。歩みは遅いかもしれません。努力していることが周囲にはわかりにくいかもしれません。それでも、一生懸命にかけがえのない人生を生きているのです。それは、障害のない人と同じです。
(4) 知的障害は悪いことか?
背の低い人は努力をしても身長が伸びるわけではありません。肌の黒い人が努力で白くはならず、ひげの濃い人は努力してもひげが薄くはならないのと同じように、知的障害の人は努力をしても障害がなくなるわけではありません。
では、色が黒いことや背の低いことは悪いのでしょうか? 知的障害があることは悪くて恥ずかしいことなのでしょうか?
黒人はひどい差別を受けていた時代がありました。今でもそうした差別は残っていますが。色が黒いというだけでバカにされ、レストランに入れてもらえなかったり、プールで泳ぐことを嫌がられたりしていたのです。悪いことをしたために色が黒くなったわけでもなく、黒いことが社会に害悪をまき散らすわけでもないのにです。
少し前、「3高」という言葉がはやりました。収入が高い・学歴が高い・背が高いという3つの「高」を持っている男性がもてたのです。背が高い人はいまでもカッコいいと見られたりします。
色の白い人が好き、背の高い人が好き…… というのは、それぞれの好みの問題なので否定することはできません。しかし、色が黒いことや背の低いことでレストランやプールに入れてもらえなかったり、いじめられたりすることは許されません。
もしも、あたなた背が低いという理由でレストランに入れてもらえなかったら、色が黒いという理由でプールに入れてもらえなかった、どう思いますか?
知的障害者は自分が悪くて障害になったわけではありません。病気をうつしたり、何らかの害悪を社会にまき散らすわけでもありません。もしも知的な障害のある人があなたの好みに合わなかったとしても、差別したりいじめたりしたら、彼らはどれだけ悲しい思いをすることでしょう。
障害者が差別されるようになったのは、戦争や経済成長に役に立つかどうかで人間を評価するようになってからのことだと言われています。
古い遺跡を調べると、ある民族は牧草を求めて移動するとき、病人や障害者を大切に連れていった跡が見られます。わが国でも障害のある子どもを「福子」と言って大事にしたり、障害者がいる店は繁盛すると言われたりした時代がありました。障害者を大事にする昔話が各地に残っています。
障害のある人をどう見るのかは、私たち自身がどのような価値観を持っているのかを照らし出すことにほかなりません。その時代の素顔を映し出す鏡のような存在なのかもしれません。
(5) 技術の進歩が障害を変える
もしもメガネやコンタクトレンズが開発されていなければ、視力が 0.01 の人はれっきとした障害者です。
もしも車いすが開発されていなければ、立って歩けない人は自分ひとりではどこへも行けないかもしれません。車も電車も飛行機もなかった時代、自分で移動することができない人はおそらくビジネスをはじめとするあらゆる社会的活動から排除されていたことでしょう。
ところが、手紙や電報が登場すると、歩けなくても手紙や電報をつかっていろいろな活動に参加し、自分の意見も伝えることができるうようになります。
一方、目の見えない人は誰かに手紙や電報を読み上げてもらったり、代筆してもらわなければ手紙や電報を利用することができません。
電話が開発されて普及する時代になるとリアルタイムで情報交換ができるようになり、人類の社会活動は飛躍的にスピードアップしました。目の見えない人もまったく困ることがなくなりました。
ところが、取り残された人たちがいます。耳の聞こえない人です。ビジネスの交渉も、政治的な活動も、恋愛も、あらゆることが電話でのやりとりが中心になると、耳の聞こえない人たちは世の中の動きになかなか付いていけなくなります。
パソコンが開発されインターネットの時代になると、大量の文字や映像の情報が時間と距離を飛び越えて、目の前のパソコン画面に現れるようになりました。電話時代に取り残されてしまった耳の聞こえない人にとっては、ネット社会の到来はまさに福音です。
しかし、今度は目の見えない人たちが困ってしまいます。最近は音声対応型パソコンが開発され、だいぶ便利にはなってきましたが、電話が社会的コミュニケーションの主流だった時代に比べれば、目が見えないために受けるハンディは大きくなったはずです。
このように、障害の質や程度は同じであったとしても、技術の開発や情報伝達のあり方によって、社会生活をする上でのハンディは重くなったり軽くなったりするのです。 現代のように都市化、工業化、情報化が進んでいなかったころ、知的障害のある人はそんなに困っていなかったのかもしれません。
(6) 多数だと見えない?
ある目の見えない男性は言いました。
障害というのは何でしょうか。どの国でも、どの時代でも、どの地域でも、だいたい障害者は同じくらいの割合で生まれてくるものなのです。ところが、神様がいたずらをして、この町では私のような目の見えない人がたくさん生まれてきたとしたら、この町はいったいどんなことになるのでしょう。考えてみてください。
そうしたら、私はこの町の市長選に立候補します。おそらく私のような目の見えない有権者の数が多いので、私は市長に当選するでしょう。私にはとっておきの公約があります。
この町の財政赤字をなんとか解消しないといけない。地球温暖化の防止にも貢献しないといけない。そのために、私はこの町から電灯という電灯をすべて撤去する。どれだけの電気代を節約できることだろう。電気をつくるために発電所の負荷も減らすことができるし、一石二鳥ではないか。私たちのような視覚障害者には電灯なんて何の役にも立たないのだから。
すると、目の見える市民たちは血相を変えて私のところに飛んでくるでしょう。「市長、そんなデタラメな公約は撤回してくれ。電気がなければ私たちは室内で仕事ができない。夜はどうやって過ごせばいいんだ」
市長になった私はこう答えます。「まあまあ、みなさんの気持ちはわからなくもないが、一部の市民のわがままを聞くわけにはいかない。少しは一般市民のことも考えてみてはどうですか?」。そう、この町では目の見えない人たちが「一般市民」なのです。
障害とは何かが<できるか・できないか>なのでしょうか。
<目が見えるか・見えないか>
<耳が聞こえるか・聞こえないか>
<足で歩けるか・車いすで移動するか>
<学校の勉強ができるか・できないか>
そうではなくて、どういう特性を持った人が多数なのか。多数の人たちが自分たちに都合の良いようにルールを作り、街や道路や建物を作り、コミュニケーションの方法を決め、そのために少数派の人々が「障害者」というレッテルを張られて、社会の隅に押しやられているだけなのかもしれません。
多数だと大切なことが見えなくなることがあります。
全日本手をつなぐ育成会理事・権利擁護委員長
野沢和弘
<参考文献>
「発達障害白書2008」(日本文化科学社)
「知的障害のある子といっしょに」(偕成社)
「障害と私たちの社会」(大月書店)
「条例のある街」(ぶどう社)
TBS「だいすき!!」 ホームページから引用
『だいすき!!』
という知的障害のお母さんが子育てをするドラマだ。
まず設定からずるいが、ゆずの屈託のない素直な愛情に案の定泣きながら鼻水をじゃんじゃん出しながら見る。
第一話は非常に面白かったので良かった。
ショートカットの香里奈がとてもかわいかったし、演技も良かった。
来週も楽しみだ。ドラマなんて観るの何年ぶりやろ。
実は僕も現在、うつで病院に通院し、障害者自立支援法の精神障害者(っていうほどでもないけど)該当ってことになっていて、自立支援法の適用により保険料を一割負担にしていただいている。
だから、僕もゆずの仲間ともいえるかもしれない。
しかし、精神障害者についてはほかの障害を持っている人に比べてスポットライトを当たることが少ない。このことについてはやはりまだまだ差別意識が払拭されていないというところがあるのだろうか?
まあ、僕のようなごく軽度のうつは「障害」とはいえないけれど。
統合失調症などのひとの実際の現状が社会に認知されているかといったら疑問符がつくだろう。
それから、春に公開予定の映画『潜水服は蝶の夢を見る』もおすすめです。
最後に、「だいすき!!」のhpにあった「知的障害について」を引用しときます。
(1) 病気とは違います
知的障害とはどのような障害なのか、日本の法律では定義はされていません。
目や耳の不自由な人、車いすの人などは障害があることがわかりやすいのですが、もともと知的な能力は高い人もいれば低い人もいて、どこからが障害と判断するのかについてもいろいろな考え方があります。
実際は次の三つの点から検討されることが一般的です。
18歳未満の発達期に障害があらわれていること。
お年寄りの認知症とは違うということです。
知能指数 (IQ) が70未満であること。
標準は100ですが、IQ 検査は何種類かあり、検査によって数値が違ってきます。
年齢に比べて、身の回りのことや学習などの社会生活能力が低いこと。
障害は病気とは違って、治療や訓練をすれば「治る」というものではありません。ただ、家族や友だちや周囲の人々が障害についてよく理解し、障害のある人が育ちやすい環境を整えてあげることによって、社会的生活能力は向上していき、福祉の援助が必要ではなくなる人もいます。
それでも、障害がなくなるということではありません。その人の個性や特徴の一つになっていくようなものかもしれません。
また、知能指数 (IQ) 検査は、言語が理解できないと数値が低く出る傾向があるなどの批判もあります。最近はイラストや図などによる説明が多く見られるようになり、現実に生活していく上での「知能」と IQ とのズレが大きくなっていると言われています。
(2) 知能について
そもそも、知能とは何でしょう。IQ 検査などでは、言語理解、数、空間、記憶、知覚の速度、推理などについて調べ、その人の能力を数値で表しますが、それだけでは説明がつかないことがたくさんあります。
知的障害者や自閉症という障害者の中には、一瞬のうちに目の前の風景を細かいところまで記憶に焼き付けることができたり、数字や日時に関する記憶や処理能力が優れ、天才的な一面を見せる人が少数ですが、います。
また、過去の体験や学習で蓄積された知識と、新たな状況に適応するため柔軟に変化する知的活動に分けて、知能をとらえる考え方もあります。新たなことに柔軟に対応するためには、どれだけの知識が蓄積されているかが重要だというのです。
一方、新たな対応が体験としてさらに知識を蓄積していくわけで、その人がどのような環境や人間関係の中で暮らしてきたか、どのような体験をしてきたのかが、知能に大きな影響を与えるというのです。
数学や理科の勉強ができたり、難しい漢字を書けることだけが知的能力を測るものさしではないのです。
厚生労働省の平成17年調査によると、知的障害のある人は54万7,000人で、そのうち施設で暮らしている人が12万8,000人、地域で暮らしている人は41万9,000人です。だいたい4人に1人は施設の中で生活しているわけです。
多くの先進国では、障害があっても施設で管理された生活を強いるのは権利侵害ではないかと考えられ、障害のない人と同じように地域で生活するようになってきました。これをノーマライゼーションといいます。
障害者だって恋愛もします。幸せな結婚をしたいと思う人もいます。赤ちゃんを産む人もいます。大切な人を失い、悲しみに襲われることもあります。仕事をして認められたい、お金を稼ぎたいとも思います。だいすきな人を抱きしめたいとも思います。
人生の中でさまざまな人とめぐり合い、楽しい思い出や悲しい出来事をいっぱい経験し、そうして蓄積されたことが知的能力を育んでいくのです。
(3) 原因
環境や人間関係が知能に大きく影響するとしても、人はそれぞれ生まれながらにして知的能力が違います。どうしてなのでしょうか。
たとえば、ダウン症という知的障害は染色体が一般の人とは違うために発生します。なぜ染色体の違いが出るのかはよくわかっていません。
妊娠中に薬の副作用やさまざまな有害物質を吸引したり、生まれてくるときに難産のために脳に何らかの損傷を負ったり、酸素をうまく吸えなかったりするために知的障害になる場合もあります。
遺伝によって知的障害があらわれる場合もありますが、いずれにしても詳しいメカニズムはよくわかっていません。
身長が人によって違い、走る速さも人によって違うのです。知的能力が人によって違うのは不思議なことではありません。
足が遅い人でも一生懸命に努力すれば速く走ることができるようになります。
しかし、あまり努力をしなくても生まれつき速く走ることができる人もいます。
どんなに努力しても追い越すことができない場合もあります。
しかし、努力するのは無駄なことでは決してありません。努力することによって自分の中に充実感が広がったり、がまん強さが身に付いたり、心が強くなったりします。困ったことに直面しても、努力して身に付けた強さによって乗り越えることができたりするものです。
精一杯がんばっている人は周囲の人々に勇気や感動を与えたりもします。
知的障害の人だって、努力をすることでいろんなことができるようになります。歩みは遅いかもしれません。努力していることが周囲にはわかりにくいかもしれません。それでも、一生懸命にかけがえのない人生を生きているのです。それは、障害のない人と同じです。
(4) 知的障害は悪いことか?
背の低い人は努力をしても身長が伸びるわけではありません。肌の黒い人が努力で白くはならず、ひげの濃い人は努力してもひげが薄くはならないのと同じように、知的障害の人は努力をしても障害がなくなるわけではありません。
では、色が黒いことや背の低いことは悪いのでしょうか? 知的障害があることは悪くて恥ずかしいことなのでしょうか?
黒人はひどい差別を受けていた時代がありました。今でもそうした差別は残っていますが。色が黒いというだけでバカにされ、レストランに入れてもらえなかったり、プールで泳ぐことを嫌がられたりしていたのです。悪いことをしたために色が黒くなったわけでもなく、黒いことが社会に害悪をまき散らすわけでもないのにです。
少し前、「3高」という言葉がはやりました。収入が高い・学歴が高い・背が高いという3つの「高」を持っている男性がもてたのです。背が高い人はいまでもカッコいいと見られたりします。
色の白い人が好き、背の高い人が好き…… というのは、それぞれの好みの問題なので否定することはできません。しかし、色が黒いことや背の低いことでレストランやプールに入れてもらえなかったり、いじめられたりすることは許されません。
もしも、あたなた背が低いという理由でレストランに入れてもらえなかったら、色が黒いという理由でプールに入れてもらえなかった、どう思いますか?
知的障害者は自分が悪くて障害になったわけではありません。病気をうつしたり、何らかの害悪を社会にまき散らすわけでもありません。もしも知的な障害のある人があなたの好みに合わなかったとしても、差別したりいじめたりしたら、彼らはどれだけ悲しい思いをすることでしょう。
障害者が差別されるようになったのは、戦争や経済成長に役に立つかどうかで人間を評価するようになってからのことだと言われています。
古い遺跡を調べると、ある民族は牧草を求めて移動するとき、病人や障害者を大切に連れていった跡が見られます。わが国でも障害のある子どもを「福子」と言って大事にしたり、障害者がいる店は繁盛すると言われたりした時代がありました。障害者を大事にする昔話が各地に残っています。
障害のある人をどう見るのかは、私たち自身がどのような価値観を持っているのかを照らし出すことにほかなりません。その時代の素顔を映し出す鏡のような存在なのかもしれません。
(5) 技術の進歩が障害を変える
もしもメガネやコンタクトレンズが開発されていなければ、視力が 0.01 の人はれっきとした障害者です。
もしも車いすが開発されていなければ、立って歩けない人は自分ひとりではどこへも行けないかもしれません。車も電車も飛行機もなかった時代、自分で移動することができない人はおそらくビジネスをはじめとするあらゆる社会的活動から排除されていたことでしょう。
ところが、手紙や電報が登場すると、歩けなくても手紙や電報をつかっていろいろな活動に参加し、自分の意見も伝えることができるうようになります。
一方、目の見えない人は誰かに手紙や電報を読み上げてもらったり、代筆してもらわなければ手紙や電報を利用することができません。
電話が開発されて普及する時代になるとリアルタイムで情報交換ができるようになり、人類の社会活動は飛躍的にスピードアップしました。目の見えない人もまったく困ることがなくなりました。
ところが、取り残された人たちがいます。耳の聞こえない人です。ビジネスの交渉も、政治的な活動も、恋愛も、あらゆることが電話でのやりとりが中心になると、耳の聞こえない人たちは世の中の動きになかなか付いていけなくなります。
パソコンが開発されインターネットの時代になると、大量の文字や映像の情報が時間と距離を飛び越えて、目の前のパソコン画面に現れるようになりました。電話時代に取り残されてしまった耳の聞こえない人にとっては、ネット社会の到来はまさに福音です。
しかし、今度は目の見えない人たちが困ってしまいます。最近は音声対応型パソコンが開発され、だいぶ便利にはなってきましたが、電話が社会的コミュニケーションの主流だった時代に比べれば、目が見えないために受けるハンディは大きくなったはずです。
このように、障害の質や程度は同じであったとしても、技術の開発や情報伝達のあり方によって、社会生活をする上でのハンディは重くなったり軽くなったりするのです。 現代のように都市化、工業化、情報化が進んでいなかったころ、知的障害のある人はそんなに困っていなかったのかもしれません。
(6) 多数だと見えない?
ある目の見えない男性は言いました。
障害というのは何でしょうか。どの国でも、どの時代でも、どの地域でも、だいたい障害者は同じくらいの割合で生まれてくるものなのです。ところが、神様がいたずらをして、この町では私のような目の見えない人がたくさん生まれてきたとしたら、この町はいったいどんなことになるのでしょう。考えてみてください。
そうしたら、私はこの町の市長選に立候補します。おそらく私のような目の見えない有権者の数が多いので、私は市長に当選するでしょう。私にはとっておきの公約があります。
この町の財政赤字をなんとか解消しないといけない。地球温暖化の防止にも貢献しないといけない。そのために、私はこの町から電灯という電灯をすべて撤去する。どれだけの電気代を節約できることだろう。電気をつくるために発電所の負荷も減らすことができるし、一石二鳥ではないか。私たちのような視覚障害者には電灯なんて何の役にも立たないのだから。
すると、目の見える市民たちは血相を変えて私のところに飛んでくるでしょう。「市長、そんなデタラメな公約は撤回してくれ。電気がなければ私たちは室内で仕事ができない。夜はどうやって過ごせばいいんだ」
市長になった私はこう答えます。「まあまあ、みなさんの気持ちはわからなくもないが、一部の市民のわがままを聞くわけにはいかない。少しは一般市民のことも考えてみてはどうですか?」。そう、この町では目の見えない人たちが「一般市民」なのです。
障害とは何かが<できるか・できないか>なのでしょうか。
<目が見えるか・見えないか>
<耳が聞こえるか・聞こえないか>
<足で歩けるか・車いすで移動するか>
<学校の勉強ができるか・できないか>
そうではなくて、どういう特性を持った人が多数なのか。多数の人たちが自分たちに都合の良いようにルールを作り、街や道路や建物を作り、コミュニケーションの方法を決め、そのために少数派の人々が「障害者」というレッテルを張られて、社会の隅に押しやられているだけなのかもしれません。
多数だと大切なことが見えなくなることがあります。
全日本手をつなぐ育成会理事・権利擁護委員長
野沢和弘
<参考文献>
「発達障害白書2008」(日本文化科学社)
「知的障害のある子といっしょに」(偕成社)
「障害と私たちの社会」(大月書店)
「条例のある街」(ぶどう社)
TBS「だいすき!!」 ホームページから引用
マジおススメ
youtubeで視聴→DISCO FLIGHT
number girl好きな人は特に。
かっこよすぎ。
ベースの女性のウねるベースギタアとヴォーカルの高音に爆死
youtubeで視聴→DISCO FLIGHT
number girl好きな人は特に。
かっこよすぎ。
ベースの女性のウねるベースギタアとヴォーカルの高音に爆死
![]() | Inspiration is DEAD (2007/08/22) 凛として時雨 商品詳細を見る |
おととい、僕が敬愛する加藤秀一大先生による4・5限にわたる補講という名の上映会は素晴らしいものであった。
まずセットリストから。
1“All Is Full Of Love”(←you tubeにリンク) ビョーク
2ウルトラセブン「狙われた町」
3ウルトラセブン「第四惑星の悪夢」
4ウルトラセブン「ノンマルトの使者」
5休憩&デヴィット・ボウイPV
6帰ってきたウルトラマン「怪獣使いと少年」
7BLANKEY JET CITY「悪い人たち」
もう言葉は要るまい。すごすぎて声も出なかったよ。明治学院大学に入れて良かった。
まずセットリストから。
1“All Is Full Of Love”(←you tubeにリンク) ビョーク
![]() | コンプリート・ヴォリューメン 1993-2003 グレイテスト・ヒッツ (2002/12/04) ビョーク 商品詳細を見る |
2ウルトラセブン「狙われた町」
![]() | DVD ウルトラセブン Vol.2 (1999/06/25) 特撮(映像) 商品詳細を見る |
3ウルトラセブン「第四惑星の悪夢」
4ウルトラセブン「ノンマルトの使者」
![]() | DVD ウルトラセブン Vol.11 (1999/10/25) 特撮(映像) 商品詳細を見る |
5休憩&デヴィット・ボウイPV
![]() | ベスト・オブ・デヴィッド・ボウイ (2005/09/14) デヴィッド・ボウイ 商品詳細を見る |
6帰ってきたウルトラマン「怪獣使いと少年」
![]() | DVD帰ってきたウルトラマン Vol.9 (2003/03/28) 特撮(映像)、団次郎 他 商品詳細を見る |
7BLANKEY JET CITY「悪い人たち」
![]() | Angel Fish Complete Edition (2005/09/14) BLANKEY JET CITY 商品詳細を見る |
もう言葉は要るまい。すごすぎて声も出なかったよ。明治学院大学に入れて良かった。
ぼくはこっそり好きな女子アナがいる。
テレビ朝日の萩野志保子アナウンサーだ。
めちゃくちゃ俺のタイプなのだ。
誰か知ってる人いないよね(笑)
なんでも離婚したらしい
これはチャンスか!?(笑)なんてね。
うーんでも本気で好きだな。婿にとってほしいよ。
テレビ朝日の萩野志保子アナウンサーだ。
めちゃくちゃ俺のタイプなのだ。
誰か知ってる人いないよね(笑)
なんでも離婚したらしい
これはチャンスか!?(笑)なんてね。
うーんでも本気で好きだな。婿にとってほしいよ。
![]() | 認知療法・認知行動療法カウンセリング初級ワークショップ―CBTカウンセリング (2005/12) 伊藤 絵美 商品詳細を見る |
![]() | 認知行動療法―理論から実践的活用まで (2007/08) 下山 晴彦 商品詳細を見る |
![]() | 不安障害の認知行動療法〈3〉強迫性障害とPTSD (2005/04) ギャビン アンドリュース、ロッコ クリーノ 他 商品詳細を見る |
![]() | こころの病気を知る事典 新版 (2007/11/30) 大塚 俊男 商品詳細を見る |
![]() | 強迫性障害治療ハンドブック (2006/06) 原田 誠一 商品詳細を見る |
![]() | 〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法 (2004/04/27) デビッド・D.バーンズ、山岡 功一 他 商品詳細を見る |
![]() | うつと不安の認知療法練習帳 (2001/12) デニス グリーンバーガー、クリスティーン・A. パデスキー 他 商品詳細を見る |
たまには自分のために認知行動療法についてお勉強。
認知行動療法とは自分の考え方や思考(自動思考)の傾向をできるだけポジティヴなものにもっていき、気分障害を緩和させ、うつ状態を抜け出そうという治療療法。
薬物療法による効果が出てきて気持ちに余裕が出てきたので認知行動療法を徐々に自分でお勉強して自分の生活のなかでも実践し、少しずつでも自己治療できればと思う。
それから、うつの人もそうでないひとも、
「うつ病」についてすごくわかりやすく解説しているサイトがあったのでオススメしときましょう。まだまだ「うつ」について正しい知識を持っているひとって少ないし、10人に1人くらいの割合で生きているうちに重い軽いの程度の差はあれど誰でも、「うつ病」にかかるリスクを持っています。
それに「うつ病」は自身や家族がかかっていても、本人も家族もなかなか気づくのが難しい病気です。
もしよければ、これを機会にぜひ「うつ」について正しい知識を知ることにお役に立てていただくとうれしいです。
自分や家族、大切な人が病気になる可能性は常にあるのですから。
あらかじめ正しい知識があれば、不安に陥ったり、無知ゆえに正しい治療ができず悲劇的なことにならないで済みますし、まわりにうつで苦しんでいる人がいてもそのひとを傷つけたり、追い込まず、理解してあげることができます。
↓
こころのひまわり
うう、てるるのミニアルバム「もはやこの絵は虫の息」を聞いているがやっぱこのバンド才能あるな。
セカンドミニアルバムの曲がカウントダウンTVのエンディングテーマに抜擢されたみたいだ。
これを機にもっと名が知れるといいね。
あんま有名になってくれても困るけどさ。
さて、最近購入したこの本ですが、
とてもよい本。オススメ。
実際に入試に出された哲学者の評論を「哲学的に」丁寧に読むのだが、
この新書に入っている4つの哲学者の文章がとても内容が濃いので2回、3回ゆっくり丁寧に読んで味わうことができる名文ぞろいだ。
しかし、それゆえに実際の入試問題自体も哲学的奥深さについていけず、出題者が「誤読」をして、正解がない問題にむりやり正解をこじつけたりしているところがあることを指摘している。
こうみてみると入試の現代文ということがいったいどのような観点から正解を導き出しているのか実はすごくあやふやだということがわかってくる。
確かに現代文や国語の評価基準は非常に難しいところがあることは確かだろう。
ある意味で単純で簡潔な文章だけであったらはなしは簡単だが、入試には哲学者が記したエッセイなど非常に奥深く深みのある内容の文章がつかわれる。
この新書を通して見えてくるのは、入試現代文は「真理」が正解なのではなく、「出題者の意図」を感じ取り、その意図に沿った正解を出すことが「正解」なのだということが往々にして起こるということだ。
国語の「読み」というのはある意味で見方の問題だしそもそも唯一の正解なんてない。
しかし、それを認めてしまうと収集がつかなくなってしまうので出題者が一種の価値判断をした「答え」を正解とする。
だとしたら、入試の問題も出題者の力量や恣意にさらされることになるともいえるだろう。
僕は国語が得意なので予備校や学校の国語の先生になろうかなと一瞬考えたことがあるが、正解はこう出すという読解法を教える前に、問題の作りそれ自体が間違っているときはどうおしえればいいんだ?とか思った。
はたして入試現代文には、こう読めばいい点がとれるでげす。といった理論がありうるのだろうかとか思ってしまったのでした。
セカンドミニアルバムの曲がカウントダウンTVのエンディングテーマに抜擢されたみたいだ。
これを機にもっと名が知れるといいね。
あんま有名になってくれても困るけどさ。
さて、最近購入したこの本ですが、
![]() | 哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する! (2007/12) 入不二 基義 商品詳細を見る |
とてもよい本。オススメ。
実際に入試に出された哲学者の評論を「哲学的に」丁寧に読むのだが、
この新書に入っている4つの哲学者の文章がとても内容が濃いので2回、3回ゆっくり丁寧に読んで味わうことができる名文ぞろいだ。
しかし、それゆえに実際の入試問題自体も哲学的奥深さについていけず、出題者が「誤読」をして、正解がない問題にむりやり正解をこじつけたりしているところがあることを指摘している。
こうみてみると入試の現代文ということがいったいどのような観点から正解を導き出しているのか実はすごくあやふやだということがわかってくる。
確かに現代文や国語の評価基準は非常に難しいところがあることは確かだろう。
ある意味で単純で簡潔な文章だけであったらはなしは簡単だが、入試には哲学者が記したエッセイなど非常に奥深く深みのある内容の文章がつかわれる。
この新書を通して見えてくるのは、入試現代文は「真理」が正解なのではなく、「出題者の意図」を感じ取り、その意図に沿った正解を出すことが「正解」なのだということが往々にして起こるということだ。
国語の「読み」というのはある意味で見方の問題だしそもそも唯一の正解なんてない。
しかし、それを認めてしまうと収集がつかなくなってしまうので出題者が一種の価値判断をした「答え」を正解とする。
だとしたら、入試の問題も出題者の力量や恣意にさらされることになるともいえるだろう。
僕は国語が得意なので予備校や学校の国語の先生になろうかなと一瞬考えたことがあるが、正解はこう出すという読解法を教える前に、問題の作りそれ自体が間違っているときはどうおしえればいいんだ?とか思った。
はたして入試現代文には、こう読めばいい点がとれるでげす。といった理論がありうるのだろうかとか思ってしまったのでした。
お正月やることがなかったので行きつけのスタバに行くも、浅草は人の洪水。
もちろんスタバ浅草雷門店は満席であり、人がいっぱいなのであきらめ、上野のスタバで勉強&読書。
今年はいい年になりますように。
もちろんスタバ浅草雷門店は満席であり、人がいっぱいなのであきらめ、上野のスタバで勉強&読書。
![]() | 岬 (文春文庫 な 4-1) (1978/01) 中上 健次 商品詳細を見る |
![]() | おやすみプンプン 2 (2) (ヤングサンデーコミックス) (2007/12) 浅野 いにお 商品詳細を見る |
![]() | ふたつのスピカ 13 (13) (MFコミックス フラッパーシリーズ) (2007/12/22) 柳沼 行 商品詳細を見る |
今年はいい年になりますように。
| Home |















































